考察【麒麟がくる】斎藤道三

5月10日の放送をもって、NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の美濃編が終わりました。この美濃編で、強烈な異彩を放ったのは、本木雅弘さん演じる「斎藤道三」です。

下剋上の戦国時代を代表する大名ですが、一般的にはとにかく印象がよくないことが多いのではないでしょうか。有名な綽名として「美濃の蝮(マムシ)」でも知られます。政治的謀略を繰り返し、狡猾で老獪なイメージが強いです。実際、私も好きな戦国武将として、名を挙げることはまずなかったです。

しかし、本木さん演じる道三はとても人間味の溢れる人物でした。底知れない凄みや緊張感を持ちながらも、静と動の喜怒哀楽に富み、独自の多面性を秘めた魅力ある武将に見えました。
最近の研究では、道三が一代で美濃の国盗りをした説から、道三の父との親子二代に渡って、美濃における地位を築いたとする説が有力なのだとか。となると、生い立ちは油商人だけでなく、武家としての側面もうまれます。そうして成り上がった父の背中を見ながら成長したとすれば、より複雑な過程が独自の感性から深みある道三像を作りだしたとも思えてきます。

作中の道三は優れた軍略家にして、非常にしたたかな政治家です。時に謀略も辞さない政治力は、畏怖の念を抱かざるを得ません。娘婿で守護(立場的には守護代の道三のボス)の土岐頼純を茶で毒殺。(本木さんが某お茶のCMをされていたこともありSNS上で話題に。)そして、毒殺で空席となった守護を新たに擁立するため、頼純の叔父である土岐頼芸の前で、あからさまにとぼけたり、静かなるもド迫力で凄んだり。もはや道三の独壇場、まさに無双状態でした。

こうした外交政略に気を砕き、加えて度重なる近隣との戦、そして何より苦慮したのが嫡男の高政との確執でした。さらに道三直下の家臣団も決して一枚岩ではありません。誰もが知る歴史の結果として、この内部抗争が道三を最期へと導くことになります。

道三と高政は、お互いが対極的な性格や思考の持ち主であることを把握していました。共通点としては、人間関係(特に親子関係)を構築していくことに不器用でした。道三はクセはあるものの、長としての揺るぎない誇りと高い志があります。特異な言動から全ての部下に慕われている訳ではないですが、目指す目標に向かって統率することができました。また、高政は真面目で国を想う心はありながらも、道三のように軸となる志には至りません。時に謀略も駆使し、自分とは正反対の父道三を受け入れられず、家臣にそそのかされ、最も安易な道、偽りで自らを武装することなります。偽りで着飾った高政と、はかりごとはしても自らに偽りない道三は、ますます親子関係の溝を深めることになっていきました。

道三と高政の両者は、大きな確執の果てに、ついには親子のよる戦という何とも哀しい末路を辿ります。作中では一騎打ちで相対することで、両者の相反関係がより強烈に描かれています。

高政との合戦前、道三は光秀(十兵衛)にこう言います。「人の上に立つ者は正直でなくてはならぬ。偽りを申す者は、必ず人を欺き、そして国を欺く。決して国は穏やかにならぬ。」
これは、道三の信念をよく表わしています。同時に、自らの出生を虚飾し、虚栄により周囲を取り込もうとする息子高政に対して、最も伝えたかったことだったのでしょう。

道三は高政との一騎打ちの際、「そなたの父の名を申せ。」と挑発。高政は改めることなく「父親は、土岐頼芸様。」と返答。双方が幾度と槍を交えるも、道三は最後に高政の家臣に横から刺され、高政に抱えられるように崩れ落ちました。

道三の最期、家臣をつかい自ら直接手を下さなかった高政。(もしかしたら、自ら直接手を掛けるまでの覚悟がなかったのかもしれません。)一方の道三は、高政に「わが子、高政、愚か者。勝ったのは、道三じゃ」と最期に吐き出します。ここも対照的なふたりを象徴的に表していました。己に誇りある者の覚悟の違いです。道三は死してなお、親殺しの汚名を高政に着せることに成功します。

思えばこの合戦に臨むにあたり、軍事的に道三は圧倒的に不利で勝ち目はありません。しかし、実際のところは最初から道三の思惑として、詰んでいたことになります。万が一、道三が勝利すれば、譲った家督を取り返し政権復帰できる可能性を含み。敗戦し命を落としても、親殺しの汚名で高政に打撃を与えられる。劣勢でも全てに罠を仕掛けています。老獪です。そして、とても道三らしい。

生涯に渡り、お互いに迎合しなかった親子関係。道三から高政への「愚か者」という言葉の解釈に、高政への言葉であると同時に、道三自身へのものであったのかもとする本木さんのインタビューがありました。なるほど、確かに我が子を導くことができなかった責任を、最期にこの言葉に乗せて詫びたのかもしれません。奥深く悲哀に満ちた別れです。

一方で、光安と光秀の叔父と甥の関係は、道三と高政の親子関係に対して、強烈なコントラストとなりました。光安は我が子のように光秀を想い、高政軍の襲撃を迎える最中、明智の主の座と御旗を光秀に譲り、逃げて生き延びるよう指示します。光安の兄で、光秀の父の遺言を守り、明智再興を光秀に託しました。光安は、少し頼りない主として描かれている場面もありましたが、最期は道三同様に揺るがぬ信念を全うしたひとりでした。父を亡くしていた光秀にとって、光安の存在は大きく幸運なことであったに違いありません。

では、主人公の光秀は道三からは何を得たのか。道三は、光秀に特務を任せるなど、明らかに重用しています。主君道三にも、はっきりとした物言いができ、同年代の息子高政とは違う実直さを見抜いていたのだと思います。話が進むにつれて、光秀にだけ漏らす本音や弱気もありました。そして、最期には大きな期待をかけています。光秀は、時に道三に腹を立てることはあっても、常に主君道三に対しての敬意がありました。それは、光秀が実父から受け継いだ誇りを、道三にも見たからだと感じます。この「誇り」は、「麒麟がくる」のひとつの大きなテーマになる予感が個人的にはあります。

歴史上の人物は、既成概念が先行しがちなところがあり、一度ついたイメージを払拭しづらいところがあります。しかし、今回の斎藤道三は、なんとも人間臭く、瑞々しく、魅力溢れる武将だったことでしょう。

さらば 誇り高き野心家 斎藤道三 感謝をこめて

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